スポンサードリンク

今や恵方巻きを節分の日になると食べるという習慣は全国に定着していますね。

数年前は恵方巻きを節分の日に食べるということについて賛否両論が巻き起こりましたが、現在ではそれも沈静化し、人々は恵方巻きをほぼ完全に受け入れてしまったのが現状です。

恵方巻きの起源は大阪などの関西圏から始まったとされ、広めるきっかけになった関西などに反発を抱いた関東の人々のニュースでのコメントなどが強く印象に残っていますが、

恵方巻きの起源は本当に大阪から始まったのでしょうか?

恵方巻きを日本人が食べるようになったのは、ここ20年くらいの話なのでごく最近のことなのですが、この恵方巻きの起源については諸説が独り歩きしており、イマイチ判然としていないのが現状ですが

本記事では恵方巻きの起源が大阪なのか?

について最近の恵方巻の歴史と所説を交えながら解説していきたいと思います。

スポンサードリンク

恵方巻きの起源は大阪が関係しているという説は?

恵方巻の起源は大阪であり、日本中のほとんどの人々は恵方巻は関西から広まって流通したと思っている方が多いですね。しかし、恵方巻の起源は大阪ですが、広まるきっかけはまた別であるというのが真実です。

実際は大阪で食べられていた巻き寿司をとある企業が恵方巻として販売マーケティングの一環で売りだしたのが始まりなのではないかと言われています。

しかし、恵方巻は全国に販売される前から大阪の一部地域で節分の日に食べられていました。

現在の恵方巻きの代表的な商品として「丸かぶり寿司」という巻き寿司がありますが、このタイプの恵方巻は大阪市の此花区伝法と言われる地

当時の申村という場所が発祥の地と言われています。

ちなみに恵方巻の起源である大阪の此花区では昭和40年代から恵方巻として節分の日に巻き寿司が食べられていたとき記録も残っています。大阪において恵方巻を食べるという風習が一般化したのは昭和40年代末頃と言われています。

また、恵方巻を食べるという大阪の風習は決して有名なものではありませんでした。厳密にいつの頃から恵方巻を食べていたかという詳細な記述はなく、現在でもいつ頃から食べられていたのかを示す明確な根拠はありません。

明治時代や大正時代の新聞や雑誌にも恵方巻に関する記述はなく、恵方巻を食べていたという風習や根拠を示すものはありませんでした。

昭和40年代から恵方巻が食べられていたという根拠としては、大阪歴史博物館が収蔵する「柴垣コレクション」というものの中から事実を裏付ける者が見つかっており、昭和15年(1940年)に「美登利」と呼ばれていた大阪市内に存在した寿司屋が、恵方巻きに関するチラシを配布していたという事実が残されているので、恵方巻きは1940年代には既に大阪にて存在していたという情報は本物でしょう。

また、このチラシは大阪鮓商組合後援会という団体が印刷したもので、恵方巻きは一種の販促キャンペーンとして打ち出されたものです。

以上のことからも、現時点での恵方巻きの起源が大阪であるという説は非常に有力です。

スポンサードリンク

恵方巻きの諸説と遊女との関係は?

恵方巻きは諸説もさまざまあり、どれが真実かも定かではないという諸説が独り歩きしているのが現状です

また、恵方巻きの数ある諸説の中でも一際興味深い諸説としては

昔の一般的な風俗である遊郭の遊女と少なからず関係があるかもしれないということも分かりました。

恵方巻は「花柳界において、お大尽遊びのひとつとして行われた」という説もありますが、説が独り歩きしており、それを裏付ける根拠はありません。

しかし、近年のインターネット上でこの説が度々浮上しており、今や恵方巻きの諸説として「花柳界において、お大尽遊びのひとつとして行われた」という説が非常に注目を集めています。

また、この説と先の項目で記述した大阪鮓商組合後援会が少なからず関係しており、昭和7年頃に大阪鮓商組合後援会が発行したチラシの中に

「この流行は古くから花柳界にもて囃されてゐました」

という口上がかかれていました。

また、沓沢博行著の書籍「代人における年中行事と見出される意味―恵方巻を事例として―」の内容に

藤森秀夫大阪海苔問屋協同組合事務局長からの聞き取り内容として

「船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをさせていたことに端を発するという説」

の内容が事実であるという根拠も書かれていました。

しかし、この内容が全面的に正しいという証明ではなく、似たような記述も他に存在していたことから

これらの内容が絶対的に正しいという考えではないということも示唆されています。

実際のところ、恵方巻きが「花柳界において、お大尽遊びのひとつとして行われた」という明確な証拠がないというのが結論になります。

恵方巻きの発祥の地や企業との関わり

恵方巻の起源は、大阪をはじめとする関西で節分の日に恵方巻(当時は太巻き)を食べられていたのを、とある企業が自身の販売マーケティングの一環として売りに出したのが恵方巻と言われています。

その企業は広島市にあるセブンイレブンで、1989年に広島市のセブンイレブンが

節分の日に太巻き寿司を食べる大阪の習慣に目を付けて、恵方巻として全国に販売し出したのが恵方巻が全国的に流通するきっかけとなりました。

恵方巻きの起源は大阪かもしれませんが、それを広めた張本人はセブンイレブンなわけで、

一般の人々は「大阪が自分たちの習慣を広めた」というように誤解しているのが実際のところです。

セブンイレブンが恵方巻きの販売を開始して、2000年代に入り恵方巻が急速に流通するようになって、他のコンビニ大手企業もセブンイレブンに続いて恵方巻きを販売し始めました。

1990年代では節分に恵方巻きを食べるという習慣はほとんどありませんでしたが、現在ではほぼ日本全国で節分の日が近づくと恵方巻きの販促キャンペーンでにぎわい、2月3日になると全国各地で恵方巻きが販売されて、消費者がそれをこぞって買い求めるようになりました。

それを考えるとセブンイレブンの力だけではありませんが、企業の影響力はある意味では世間の考え方を変えてしまうほどに色濃いものなのですね(^^;)

恵方巻きを節分に取り入れるかどうかはその人の自由ですが、どうして恵方巻きを節分に食べるようになったのかくらいは知っておいても損は無いかもしれませんね。

スポンサードリンク

まとめ

【恵方巻きの起源は大阪?諸説や遊女が関係している?発祥の地など解説】

の記事の内容としては以上になります。

如何だったでしょうか。

恵方巻きの起源は現在のところ大阪という説が有力ですが、元々の起源などは厳密には判明していないのが現状です。また、諸説もさまざまありますが、今のところ現在の恵方巻きの起源は大阪という説を覆すには至っておりません。

今後の研究や文献の発見次第では、恵方巻きの起源が大阪という認識も変わる可能性があるかもしれませんね。

また、大阪で食べられていた恵方巻を全国に広めたのはセブンイレブンという事実を知っている人は少ないのではないでしょうか。

その所為もあって、恵方巻きを広めた張本人が大阪という認識が全国的に浸透してしまいましたが、現在は普通に受け入れられているので、セブンイレブンの恵方巻きの戦略は見事に成功したと言えますね(^^;)

では、以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポンサードリンク