豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた最初に人物で、天下統一以外に数多くの政策を成し遂げて成功させてきましたね。
秀吉が行った政策や進軍の中でも特に国際的にも有名なのが朝鮮出兵です。
豊臣秀吉は数多くの政策を成功させましたが、この朝鮮出兵だけは失敗だと今日まで言われています。多くの武将や家臣が反対する中、秀吉は朝鮮出兵を敢行しました。
朝鮮出兵を行ったのがきっかけで豊臣秀吉は徐々に衰退していき結果として豊臣家滅亡の一因になったとまで言われていますが、そこまでして豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った理由とは何だったのでしょうか?
本記事内容としては豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った真相について、侵略を行った理由と目的、結末から考察していきたいと思います。
豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った理由と目的は?
豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った理由と目的とは何だったのでしょうか。
元々、豊臣秀吉は日本を統一することを第一と考えていた人物です。しかし、豊臣秀吉は日本は世界のごく小さな一部の地域でしかないということをイエズス会の宣教師であるルイス・フロイスなどから聞いており、その話を聞いた豊臣秀吉は日本統一を成し遂げた後、朝鮮半島を植民地化し、朝鮮半島を皮切りに中国を引いては西洋諸国を支配下に置くことを考え始めたのです。
元々は織田信長の支那征服構想を継ぐものだった
豊臣秀吉は海外侵略を計画したきっかけは、自身の構想よりも織田信長がかねてより抱いていた支那征服構想を継ぐものではないかと言われています。
織田信長と袂を分かつ前は豊臣秀吉は織田信長の重臣に収まっていたので、個人的に織田信長に海外侵略に関する話を聞かされていても不思議ではありませんね。
秀吉は信長から影響されたという線は賛否両論ありますが、天下を統一していくにつれて秀吉自身も全世界を豊臣家の名のもとに支配するという壮大過ぎる野望を抱いてしまったのかもしれません。
天下統一を成し遂げたあと、速やかに朝鮮出兵を実行に移したことから
次第に豊臣秀吉にとっては天下統一は自身の野望の中の終着点ではなく通過点に変わっていったんですね。
また信長の野望であった海外侵略も徐々に自分自身の野望へと変わっていたのかもしれません。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の結末は?
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は次は世界だと海外に目を向け始めました。その手始めとして朝鮮半島を侵略・植民地化することを考えて実行しました。
結末として豊臣秀吉の朝鮮出兵は失敗しました。
また日本での毛色が違う戦場や異国の地に疲れ果てた武将は辛くも帰国しましたが、異国での敗戦によって戦いの恩賞などは与えられず結果として不満だけを膨らませる結果になりました。
また、侵略された朝鮮半島では豊臣秀吉は今日に至るまで戦火をバラまいた極悪人として韓国などでは蔑視されるという結果を残すだけに終わってしまいました。
しかし、朝鮮出兵で秀吉は数多の財貨を消耗しましたが、未だに秀吉が残している財貨は膨大でそれが徳川家康の反乱を息子の秀頼の代までしまっておいた一因にもなっていますね。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の真相を考察
豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った真相については当時中国を支配していた王朝である明を強く意識してのことだったと言われています。
こちらも諸説様々で憶測の域を出ていませんが、明が日本侵略を企てていると考えて、明に先んじて朝鮮半島を侵略し、朝鮮半島を支配下に置くことで明の日本侵略を阻止するという目的があったと言われています。
朝鮮半島を明との緩衝地帯にすることで事態を収拾しようとしたとも考えられます。
また、これとは矛盾しますが豊臣秀吉は当時西洋の列強の一つであるスペインに対抗しようとし、
海外侵略を決断したとも言われていますね。
一度目の出兵に失敗し、時期を経て二度目の出兵を行ったことからも
秀吉は天下人であればこそ海外列強の脅威を人一倍肌で感じ取っていたのかもしれません。
まとめ
【豊臣秀吉の朝鮮出兵の真相!侵略を行った理由と目的、結末からも考察】
の内容としては以上になります。
如何だったでしょうか。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は大失敗に終わりましたが、豊臣秀吉は歴史上初めて海外侵略を実行に移した人間と言われています。
織田信長の影響を受けて朝鮮出兵を行ったのではないかと言われてもいますが、天下統一を成し遂げた人間のしてんからは既にその目は日本にはなく世界の方を向いていても不思議ではないと思います。
日本だけではなく世界も手中に収めようとする征服欲が裏目に出た朝鮮出兵ですが、異国の慣れない場所での侵略がどれほど難しかったのかが分かりますね。
それでは以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。