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ところで、加藤清正という歴史上の人物をご存知でしょうか。
安土桃山時代から江戸時代初期に登場した名のある武将の一人です。
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などの日本中では知らない人がいないほどの超ビッグな三大大御所ほどの知名度はありませんが、
加藤清正もこの三名を除けば次の次くらいに名前が上がるほど有名な武将になります。
上の三人は日本は勿論ですが世界規模でも知っている人はいるでしょうね(^^;)
加藤清正は現在における熊本県である肥後熊本藩初代藩主で、通称虎之助(とらのすけ)と呼ばれました。地元熊本県では絶対に外せない人物の一人で、かの熊本城を築城したのも加藤清正になります。
また、加藤清正は築城の名人とも呼ばれており、熊本城だけでなく全国津々浦々の数々の名城の建築に携わったと言われています。
築城の名手としてもそれなりに知られている加藤清正ですが、加藤清正の逸話で一番有名な話しといえば
虎狩りですよね(^^♪
築城よりもこの虎狩りについて話をしなければ加藤清正は語れないほどに、加藤清正の虎狩りは有名なお話しです。
本記事の内容としては
加藤清正の虎退治についての逸話は本当なのか?
加藤清正の虎退治の絵の由来や意味
加藤清正の虎の話は、加藤清正の名言、格言とどういった関係があるのか?
などについて解説していきたいと思います。
目次
加藤清正の虎退治の真相は本当か?
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ところで素朴な疑問なのですが、加藤清正は本当に虎を退治したのでしょうか。
そのことに疑問を抱く人も少なからずいたはずですね。
加藤清正が虎を退治したのが本当の場合、まず虎は日本に生息していませんよね?
なのに、加藤清正は虎を退治したことになっている。
この辺りはどういうことなのかというと
加藤清正は豊臣秀吉の家臣でした。
そして、豊臣秀吉が生涯の中で行ったことと言えば何があるでしょうか。
加藤清正は朝鮮出兵の折に虎を退治した
安土桃山時代は加藤清正は豊臣秀吉の忠臣として辣腕を振るいました。豊臣秀吉は織田信長の遺志を継いで朝鮮を征服し、明を征服。やがてはヨーロッパ諸国にもその名を轟かせようという野望を持っていたことは日本史にも描かれています。
数多くの武将が豊臣秀吉の意向に従い、朝鮮出兵に参加しました。
もちろん加藤清正も例外ではありません。豊臣秀吉の忠臣の一人として朝鮮出兵に出陣したのです。
その朝鮮出兵の折に、加藤清正の陣の近くで人が食い殺される事件が発生。犯人は人食い虎だということが分かりました。既に何名かの家臣を殺されていた清正は怒り、この虎を退治することを決意。
至急、山狩りを行い件の人食い虎を発見し、絵に描かれた槍で虎の急所を一突きし退治したとされています。
加藤清正の虎退治の絵の由来や意味とは?
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実は加藤清正が虎退治を行った絵の由来や理由としては、必ずしも自分の陣の付近で虎が出現し家臣が食い殺されたから虎退治を行った訳ではないということが示唆されています。
そう、もっと別の理由があるのです。
加藤清正は一般的には朝鮮出兵の折に虎を退治したと言われていますが、加藤清正と虎の出会いは主に上記のような顛末でした。
しかし、これはあくまでも加藤清正の虎退治の伝説ですので、実際のところは少し違うかもしれません。その辺りについては諸説様々であり、加藤清正が虎退治を決行したのは家臣を殺されたこととは別の理由があったのではないかという説もあります。
豊臣秀吉が虎の肉を所望していた
安土桃山時代の当時は虎の内臓や肉を食べると長寿の妙薬になると言い伝えられてきました。朝鮮出兵をしたときに人食い虎が出没すると知った清正をはじめとする多くの武将は、この虎を狩って主である豊臣秀吉に献上しようと考えました。
虎は日本には存在しない動物なので、その獰猛性も相まって誰も実際に見たことがない虎を狩るのは容易なことではありませんでしたが、長寿の妙薬として知られる虎の肉を豊臣秀吉に献上すれば今後秀吉の覚えめでたくなると考えた加藤清正は虎狩りを行ったと言われています。
これが加藤清正が虎退治を行った顛末とも言われているのです。
加藤清正は虎を退治(狩り)その肉を塩漬けにして、日本にいる豊臣秀吉に献上したとされています。
そして、豊臣秀吉は実際にそれを食したと記録も残っているのです。
このことからも豊臣秀吉の覚えめでたく計らってもらうために虎を退治しようと思って虎退治に乗り出した武将は加藤清正だけではないとされています。
加藤清正の虎は名言、格言とはどういった関係?
加藤清正の虎退治は加藤清正の発言した名言や格言とは何か関係あるのでしょうか。
実際のところ加藤清正の虎退治と彼が発した名言、格言は直接関係するものはありません。
加藤清正の名言、格言は以下のものが有名です。
【屍を戦場にさらすとも褥の上にて死なんとは思い設けず】
【わしだって軽くしたい。だが、わしがこうしていれば家臣も見習い、常に戦時の備えを怠らないであろう】
【上一人の気持ちは、下万人に通ずる】
【人は一代、名は末代。天晴武士の心かな】
【上の者も下の者も勤番や普請の際に、身体をよく動かして手足を汚すことをしかねる者があったとしたら、臆病者と認め、成敗も加えようぞ】
【普段の友達づきあいは一人くらいにしておくといいだろう。ただし、武芸を催す場合には、多人数集まってやるがよい】
【おまえは、自分の功を立て、かれは忠をつくした】
【奉公の道に油断してはならない。朝は辰刻(7時~9時)に起きて兵法を使い、飯を食い、弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗るがよい。武士の嗜みのよい者には、とくに昇進させるだろう】
【汝らは、等しく我股肱腹心なり使うところはその器に従う】
など、その人柄をうかがわせる内容の名言が沢山あります。
しかし、彼は歴史に大きく名を残したことからも分かる通り、彼の行いや発言はその他凡百の戦国武将とは一線を画しています。
それは、加藤清正の名言、格言からも分かりますね。
また加藤清正の名言、格言にこんな言葉があります。
【お前たちは、どちらも大切な我が家臣。使うところはその器に従う】
実際のところは今となっては分かりませんが、以上の言葉から考えるに加藤清正は非常に厳格であり、家臣や領民からも尊敬される人格者だということが分かりますね(^^♪
加藤清正の名言や格言と虎退治は直接は関係ありませんが、このような名言、格言を残しているので加藤清正が虎退治を行った伝説の内容も伝説の事実に相違なかったものと考えるのも一理あるかもしれません。
まとめ
【加藤清正の虎退治の真相!絵の由来や意味と名言、格言との関係は?】
の内容としては以上になります。
如何だったでしょうか。
加藤清正が虎退治を行った伝説の真偽は現在となっては分かりませんが、彼が残した名言や格言などから察するに、
虎の肉を豊臣秀吉に献上して覚えめでたくといった自己の利益ばかりを優先するような人物ではないと考えられます。
しかし、伝説の内容が全くの史実というわけではないですが、全く違うものとも考えられません。
加藤清正の名言や格言のみならず彼が残した功績は非常に大きく、自己の利益だけを考えているような人物が歴史にそれほど大きく名を残すことは考えられないので、加藤清正の虎退治の伝説の真相もあながち間違ってはいないかもしれませんね。
では、以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。